与えるということ

人間というものは、与えるよりあたえられることが好きですよね。貰うと嬉しい。食べ放題、飲み放題も大好きです。十円玉つかみ放題。どんなに頑張っても、せいぜい、取れて2千円がいいところではないでしょうか?でも嬉しい。
欲の皮がつっぱっているというか、労せずあたえられることの幸運感、充足感に浸っていたいのでしょうね。
子供は文句は言うし、言うことを聞きませんが与えてしまう。でも赤の他人は違いますよね。あんな人間にあげてもどうせ返さないと、反対給付を期待してしまう。でも本来、与えるというのは、無償、ただです。だから反対給付を求めない、下心を持ってもいてませんよ(笑)
仮に、清らかな気持ちの時に、誰かに何かをしたい。と思ったとします。
その誰かとはどんな人でしょうか?素直に喜んでくれる人ではないでしょうか。
我が家の忠犬、花山大吉くん(姓が違いますが、わかる人にはわかると思います。これがわかるあなたは、間違いなく還暦以上の方!!(笑)
この大吉くん、激しく人のご主人である私の帰りを待っている。帰ると、全身で帰ってきてくれたことの嬉しさを表現してくれる。そして激しく顔や、頭、腕をなめてくれます。餌をあげたり、掃除をしたり、散歩に連れていったり、
シャンプー、トリミングと結構手間暇がかかりますが、いっぺんに救われる想いがします。わがまま勝手な大吉君ですが、、、全てが許されてしまいます。

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